結婚相談所芦屋ウエディングへようこそ★結婚相談所芦屋・神戸・京都・大阪・東京方面の安心できる結婚相談所です

〒659-0093 芦屋市船戸町5-26(芦屋JR徒歩2分)
営業時間:11:00-19:00  定休日: 火曜日・水曜日 (完全予約制)


待ちに待ったブログシステムが完成した。気の向くままに、感じたままに
自由に書いて行きたい。
はかない思い
8月23日
朝 5時 紫色の夜明けに
灰色の重い雲が空一面を覆っていた。
母の四十九日と納骨の為に、
朝早く名古屋へ走った。
パラパラと雨が降る中、眠い頭を、目覚めさせながら、
少しづつ 明るくなる東の空を眺めながら、
ふっと 思う。

母にもう一度会いたいな~、と。

目を閉じると、
元気だった頃の母の姿が瞼に浮かぶ。
次の瞬間に、
最初の病院に入院して
鼻に管を通したまま、何も食べる事が出来なかった頃の
不安そうな母の姿が瞼に浮かぶ。

母が最期の入院をする前に、
ふっと言った言葉が思い出される。
「もう一度 生まれ育ったあの家に帰りたい。
家の2階からいつも見ていた山々の峰を見るのが大好きだった」と。
もう 2度と生きて帰ることが出来ない。
もう 時はすでに、随分過ぎてしまって、
もう あの頃には戻れないのを、
承知で母がふっと言ったその一言が、今も切ない。

時をもう一度、
母が元気だった頃に戻して欲しいと不可能な夢をみる。

時をもう一度、
戻せるのなら、母の望みを何でも叶えてあげたいと、
はかないことをふっと思う。

母のお骨は父の眠る同じ場所に納められた。
私はもっと 一緒にいたかったけれど、
名古屋にいる姉が、父の側へ、を希望し、
姉も美しいお花を持って、時々 父と母を
訪ねたいのだろうと思った。
投稿日:24.08.2007 今日の出来事
いつもの事。
今日は忙しい1日だった。

午前中と午後のお見合いの後、
久しぶりに年下の彼とJR大阪中央駅改札口で待ち合わせをした。
1時間ぐらい時間があるので、ランチを一緒に食べようと。

JR大阪駅に30分ぐらい前に着き、
ちょっと冷たいコーヒーを飲み、
一息ついて中央出口に向かった。
まあ 暑い何ってものじゃない。
一応 ビルの中なのに、汗が玉のように、
顔全体から流れ落ちる。
「ああ、折角 おしゃれをして来たのに、
お化粧は流れるし、台無しだ」と、
と言うほどでもないかな、
しても、しなくても、変らないかな、とそんな事を、
考えながら、中央出口で待っていた。

向こうから超ミニスカートをはいた、付けまつげをした、
厚化粧の何だか、危なげで、それでいて、
人のよさそうな20代の女性が笑顔で、手を振りながら、
まっすぐに私の方へやって来た。
「えっ?」と思っていたら、
私の後ろから、これまた 危なげな超ミニスカートを
はいた女の子が手を振りながら、近づき、楽しそうに
どこかへ行った。類は友を呼ぶ、なるほど。

すぐ目の前に、旅行中のスーツケースを持った中年の男女が
手を振っているので、その先を見ると、大学生らしい青年が
近づいている。
父と母なのか、無言で阿吽の呼吸のように、
目と目で「こんにちは」みたいな感じで再会をしていた。
男の子は無口だよね。女の子のように、
キャキャとしない。
言葉が少ないが、3人の中に何となく、
ほのぼのとした家族の香りがする。
今は大学生ぐらいに成長しているが、
その昔は おしめを替えてもらったり、
お乳を飲ませてもらったりした、父と母なのだ。
何となく 息子とダブらせて想像しクスッと笑いたくなった。

向かい側に30代の青年が、
耳からイヤホーンをし、
何となく全体を見ている。
誰かを待っていると言う感じでもない。
音楽を聴いている感じでもない。
時々 目と目が合った。
何をしている人何だろう、張り込み刑事?と
勝手なことを考えながら、
時計を見ると、約束の時間が、過ぎている。
後 5分待って、電話をしよう。

5分待っても、年下の彼は現れない。
えっ? どうしたのよ。
10分、15分 ついに 電話をする事にした。
「この“あたし様”を待たせるとは何事か?」と。
携帯から「只今 電話に出る事ができません」と
メッセージが流れる。
何! どうしたのよ!ともう一度携帯を鳴らした。
と、その時、時計を見ると、
あら?私 1時間早い?と気がついた。
ああ、また やっちゃった。
1時間待ち合わせ時間を間違えていた。

慌てて また コーヒーショップへ逆戻り。
また 冷たいものを、飲んでいたら、
携帯が鳴った。
「どうしたの?何かあったの?」と年下の彼。
「ううん 早めにちょっとでも 声を聞こうかと思って」
とふざけて答えると、
「また 時間を間違えたんでしょう!」と
しっかり見抜かれていました。

ランチにイタリアンを2人で食べた。
同士のような関係でおしゃべりが弾み、楽しいひと時だった。
私は次の予定へ移動した。
ゲシュタルト療法を教えて頂いた関西大学の倉戸ヨシヤ教授と
精神分析理論や対人関係論を教えて頂いた奈良女子大学の
教授川上範夫先生達と今後のカウンセリングのスーパーバイザーの件で、話合いをした。
今後 先生達のスーパーバイザーを受けれるかも知れない。
ちょっと うれしい。憧れの先生達だから。
投稿日:18.08.2007 今日の出来事
帰郷
先日 姉から電話があった。
実家を貸し駐車場にするか、人に貸すか、
どちらにしても、「家の中を整理したいので、帰って来い」
との事だった。

朝早く 新幹線で名古屋に向かった。
昔 息子を連れて よく 実家へ帰った。
息子が小さい頃は 車で往復をした。
車好きな私は 若い頃はスピードを出して、
2時間ちょっとで よく行ったなーと思い出す。

いつ頃か 車はしんどくて新幹線になった。
誰も待っていない実家へ行くのは
初めてで複雑な気持ちになる。

駅に着くと 姉が迎えに来てくれて待っていた。
これも いままでと同じ いつもの流れ、
しかし 向かう実家には もう 誰も待っていない。

実家は玄関と勝手口がある。勝手口にガレージがあるので、
よく そこから出入りした。
「ただいま!」とドアを開けると、
キッチンで母がいつも食事の用意をしていた。
母の料理はいつもワンパターン。
畑で作った野菜のお煮しめと お刺身と 漬物と
具の沢山入ったお味噌汁、そんな感じだ。

私はそのまま キッチンに座り 母と話をしていると
応接間から父が声を聞きつけて、やってくる。
「来ていたのか、いつも 裏口からだな」と
嬉しそうに笑顔を見せる。
父は顔だけ見ると、すぐ 息子と応接間でテレビを
見たりしていた。
いつもの光景で 何も感じない当たり前の光景が
父が亡くなり、寂しいなーと思いながらも、
母がいた時は、感じた事のない、この虚無感が
私の心の中に一杯広がっている。

姉が「先に入っていて、車を止めるから」と言ったので、
私はドアを開けた。
瞬間に、誰もいない空虚な部屋に、胸が詰り涙がこぼれて落ちた。

何も変っていない部屋。
キッチンテーブルに母が良く使っていた湯飲み茶碗、
お鍋、冷蔵庫、テレビ、電子レンジがある、いつものキッチン
変ったのは、母がいない事。

姉が車を止めて、入ってきたので、
泣いているのを見られないように、2階へ行った。
父や母がいた頃の、なつかしい思い出が溢れている。
帰郷するといつも お客様用の布団に寝かせてくれた。
北の窓を開けると、風がヒョロヒョロと流れてきた。

そっと 目を閉じると、
なにもかも 遠い遠い昔の出来ごとのような気がした。
母が亡くなって、まだ 1ヶ月も過ぎていないのに、
もう 随分 月日が流れたような気がする。
アルバムを広げると、若い頃の父と母の笑顔が
目に飛び込んできたが、涙でぼやけて見えない。
部屋の中を 蒸し暑い風がヒョロヒョロと空しく流れていた。

姉が「欲しいもの、いらないもの知らせてね」と声を掛けた。
「うん」と答えて、涙をぬぐい階下へ降りた。
押入れには まだ 封をあけていない貰い物の
タオル、バスタオル類、素麺類、砂糖類、石鹸類、が
山のようにある。
母らしい。将来に将来にといつも大切に取ってあるのだ。
姉と私は「すごいね」と思わず笑った。
今 ここに 母がいたら 多分 親子喧嘩になっていると
思うと可笑しかった。
姉と私は「ドンドン使えばいいじゃないの、いつの為に取っておくの、
何の為に取っておくのよ」と言ったに違いない。
戦争を経験し、物のない時代を経験している母は
本当に物に執着していた。

私はシンプルな生活がいい。
若い頃と違って、もう 物質欲はあまりない。
「何もない贅沢」を実践したい。
新しいタオルや石鹸類を少し選んだら、
姉が「欲しいものは全部あげるよ」と言った。
母の好きだった服と靴、父の背広と帽子を形見にもらった。

姉は真面目で いつも ちょっと厳格な部分があるが、
今回は 随分と優しい。
姉もそれだけ 悲しいのだろうと思ったりした。
お互いに悲しいと思っているのが、ひしひしと伝わり、
思い出話をする心境にはならなかった。

何も考えないで生きて来て、
「親孝行したい時には、親はなし」まさに実感する。

涼しくなったら 九州と島根にある父や母の先祖のお墓参りを
しようと姉と旅の約束をした。

お花をもって父のお墓参りをして帰路に着いた。
投稿日:12.08.2007 今日の出来事
集団ヒステリー
人間はかも弱いものなのかと、つくづく 思う。
テレビを見れば、
どこも、かしこも安部政権の非難の嵐だ。
朝青龍の件も全く同じ。
福知山線脱線事故の時も同じ。
堀江さん(元ライブドア社長)の時も同じ。
集団ヒステリーのようだ。
マスコミはちょっとおかしいよ。
マスコミがおかしいのではなく、
人間という生き物の精神構造がおかしいのかも。
常に誰かが、誰かを律するのではなく、
自分が自分を律することはできないのかなー。

どのコメンテイターも内容はほとんど同じ。
1人ぐらい 全く 反対の事を言えば面白いのに

安部さんのことで言えば、
1人ぐらい、もちろん 2人でもいいのだが、
数は問題ではなく、テレビで 
「衆議院選まで 安部さんでいいじゃないか!」と
堂々と発言できる人はいないのかなーと思う。
私は安部さんが好きだからと言う訳ではない。
朝青龍の件も同じ。
彼はルール違反をした。
罰則があって当然だし、従わざるを得ないのも、明白だ。
それを マスコミはなぜ 面白がって騒ぐんだろう。
万が一 本当に「心の病」なら、
人権蹂躙だと思う。
なぜ いつも 問題が起これば、
全員が1人の人を 集団で攻めたてるのだろう。

犯罪を犯した人でも 弁護士がいて、
反対のサポートをしているのに、
安部さんは犯罪を犯して訳ではない、
又 1人が悪いわけではない、
判断ミスを多く、確かにしたし、
私は 民主党に政権を変わって欲しいと思っているけど、
テレビのニュースを見ていると、
人間の本質、他者の不幸を面白がる、
人間の弱いところ、汚いところを見ているみたいで
いやだ。
日本だけではなく、世界中同じ。
拝金主義、物質主義、
人間は動物の中で理性を持った唯一の生き物だから、
もっと 自分を自分で律してほしい。
もっと 精神主義になってほしい。

社会保険庁のお金の流れ、
税金の無駄使いの流れ、
もっと もっと 追求する事は一杯あるのに、
どの テレビも同じ。
同じ事を言っているのは、楽だよね。
楽な方にみんな 流れたいのだね。
人間は弱いんだね。
その弱い人間がなぜ 他者には完璧を望んでばかり。

私はマイノリティが好きだから、
変わっているのかも知れないが、
力関係、利害関係ばかりに
人の心がうごめいているようで、直視できない。

もっと いいところも褒めてあげて欲しいと思う。
人を非難するのは、本当に簡単だよね。
育てる事って、本当に難しいんだなーとつくづく思ったりする。
投稿日:10.08.2007 今日の出来事
追憶
夕方 6時の時刻に 事務所でのんびり 
仕事をしている自分が、どこか 居こごちが悪いと
母が亡くなって しばらく感じた。
この1年 自宅療養している時は 早く帰って 
母の食事を作らなければと、
また 病院に入院をしている時は
食事の時間に間に合うように、行かなければと
時間をいつも 気にする習慣になっていた。

31年前 妹を事故で亡くした。
母の目の前で、妹は自転車で、車とぶつかった。
ほとんど 外傷はなく、意識もあり、話も出来て、
救急車で病院へ運ばれたが、誰も妹が死ぬとは思わなかった。
2日後 突然 容態が急変し、妹は息を引き取った。
脳内出血をしていたらしいのに、なぜ きちんと検査を
しなかったのかと、悔いが残る。

まだ 若かった私は、葬儀の時、
深い悲しみの中にいる父と母の背中を見ながら
死と言うものに、漠然とした不安と恐怖を感じた。
と同時に 父と母が もし 死んだら どうしようと
思ったのを鮮明に覚えている。
死と言うものが まだまだ 身近ではないと感じていた私は
父と母に永遠に生きて欲しいと 
その時 切に思った。

母の遺品を整理していたら 父の日記を見つけた。
父は13年前に 88歳で亡くなっている。
その父の日記を母は大事に 時々 読んでいたのかも知れない。
その日記に 妹を亡くした時の 父の気持ちが川柳にしてあった。
娘を亡くした父親としての気持ちが どれほど 悲しいものが
切ないほど 日記に認めてあった。

私が「人間」「心理学」に最初に興味を持ち始めたのは
妹の死に関係している。
個々の個人的な「人間」に興味があるのではなく、
人間がもっている「普遍的な」部分に興味を抱いた。

人間とは 「何」 なのだろうか?
人の一生とは どのようなものなのだろうか?
人はどこから来て、どこへ行くのだろうか?
人の運命は決まっているのだろうか? などなど。

その疑問は 私の胸の中で づっと 燻ぶり続けていた。
「占い」「運命学」を6年学び 「心理学」を6年学び
今 その答えを 自分なりに見つけ 納得をし、確信をしている。

今の私なら 悲しみの中にいる父を もっと 理解し
励ましてあげれるのに、
当時の私は 私自身で精一杯だったと思う。
父は前向きな人で 楽天家な人だったので、
父の心配をあまりした事がなかった。
母は いつも クヨクヨする性格だったように思っていたが、
本当は強い人だったのかなーと 今 思ったりしている。
いろいろな 出来事が母をクヨクヨする性格にしたのかも
知れないとも思ったりしている。

ハンガリーの精神科医・心理学者のソンディは
「人には2つの運命がある。
 1つは 強制的運命、もう1つは選択的運命」と。
仏教大学の教授の そのソンディの「運命分析心理学」の
事例研究会に毎月参加させて頂いている。

ソンディの理論によれば、人との「出会い」は強制的運命に
なる。
恋愛、結婚、友達、師匠、上司、先生、就職、職業、病気
などの自分の人生の重要な「出会い」は出会いたくて、
出会えるものではない。
しかし その「強制的に出会った」運命を
どう解釈し、何を選ぶかは、選択的運命になるとある。

私は 常々 人の人生は その人の
「思考」 → 「言葉」 → 「行動」で 運命が決まって行く
と思っているし、自分自身の人生を通しても実感をしている。

父と母はお見合いをし「運命的」な出会いをし、
それを 選び それを全うしたが、長い人生において、
納得をしていなかった部分も
多く あったのではないかと思いを馳せた。

でも 今頃 2人は天国で再会し、マテリアルのない、
魂と魂の関わりで、
魂と魂が似たもの同士だった父と母は
楽しくしているような気がしてならない。
投稿日:29.07.2007 今日の出来事
ページ: 2 / 4 レコード 6 - 10 を表示
合計
17 件の結果
結婚相手を本気で探したい人へ。しつこい営業は行っておりませんのでお気軽にお越しくださればと思います。確実に起こし可能な日時でご予約お願いします。予約確認の返信をさしあげます。