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待ちに待ったブログシステムが完成した。気の向くままに、感じたままに
自由に書いて行きたい。
初七日
昨日 母の初七日が終わった。

白いカトレアとピンクのカーネーション、
淡いピンク色の欄の花、かすみ草の花束を持って
お世話になった医師へお礼に病院へ行った。
あの 母共どもお世話になった、あの部屋に、
この花束を飾りたいと思った。
医師と話をしていたら、また 涙がこぼれて来た。

7月19日 午前 3時27分 母はこの世を去った。
調子が悪いなりにも、前々日まで、食事をしていたが、
18日 朝 おかゆをほんの少ししか食べなかったのと、
夜は青りんごのジェリーを2口食べただけなので、内心
心配をしていた矢先だった。

寝る前に「おやすみなさい」と母の耳元で話し、
母の規則正しい、やや 浅い眠りの吐息を聞きながら、
私も眠った。

看護師さんが、午前1時に見回りに来られた時も異常はなく
2時も異常はなく、3時過ぎに、ちょっと 気になって、
唾が飲み込めていない可能性があるので、
吸入をしたほうがいいと、吸入器を持って来られて、
バタバタとしておられるので、私も起きて、心配そうに
母を見ていたら、そのまま 母は息を引き取った。

あっけなく、安らかに さよならも言わずに。
「お母さん! お母さん! お母さん!」
何度叫んでも 私の声はもう母には届かなかった。
「お母さん 長い間 いろいろと本当にありがとう!」と
母のまだ 温かいぬくもりのある手を握りながら、
何度も叫んでも もう届かない!
涙が止まらなかった。

入院後 母は自分の死を悟っていたらしくて
私のいない時に 医師に
「自分の命は後どのぐらいですか?
 1週間?2週間?」と笑顔で問うていたらしいに、
私には 全く その素振りをしなかった。
私は もう少し 長期だと思っていたのに。

そして 亡くなる 2、3日前に、
母が突然 「ゆきちゃん お母さんは悲しくないよ」
と言った。
私は「何のこと?」と聞いたら、
母は微笑みながら、同じ事を2度言った。
「お母さんは悲しくないよ」と。

今 考えると それは 母の別れの言葉だったのかと思う。
多分 私を思いやって、「悲しまないように」の
事だったと思う。
最後の最後まで 母らしい。

今 私は 母とよく喧嘩した 日々が懐かしくて
胸が涙で一杯になる。
何よりも 子供の事ばかり、心配をする母に
「自立したら? 自分の人生を楽しんだら?」と
皮肉を言っていた 日々が懐かしくて
涙がこぼれ落ちる。

葬儀の日、叔父に母の若い頃の様子を聞いたら、
結婚したての頃、母は当時ではハイカラな
大きなつばの帽子をかぶって、やってきた、
お母さんはオシャレだったし、強い人だった事、
思いやりがあって、本当に優しかった事、
少し やんちゃな部分もあった事を教えてくれた。

お母さん、
本当に長い間 お世話になりました。
ありがとうございます。心より 感謝しています。
生きている時に、この言葉を もっと もっと言えば
よかったと悲しくなります。

医師が お母さんは 「本当に幸せだ」と死を予期しながらも
おっしゃっていたよ。普通の痛み止め以外は使用しなかったし、
本当に安らかな最後だったね。こんな事は めったにないよ。
喜んであげましょう。」と
慰めて下さった。

お母さん さようなら。
投稿日:27.07.2007 今日の出来事
かかわり
母の夕食の時間に間に合うように、母の病院へ行った。
母の耳元で、
「帰ってきたよ。調子はどう?」と聞くと、
母は目を閉じたまま、ニコッと笑って、
「誰?」と返事をした。

現在 母はせん妄症状がある。
現実とせん妄と混在している。
しかし 事実はしっかり把握できていて、
現実認識が全く分からない訳ではない。

母の「誰?」という問いに、
「誰か当てて」と言うと
母は「ゆきこ」と笑いながら答えた。
そして 「ペーターはどうしてる?上手くいっている?」
とも聞いた。
本当に母は、すごい。よく分かっている。

「頑張っているよ、だから 安心してね」
「分かった」と母は微笑む。

私が母に食事を食べさせなくても、
看護師さんがゆっくり やさしく 食べさせて下さったりする。
24時間の完全看護だから。
看護師さんから、逆に「無理をしないで下さいね」と
労わりの言葉を頂く。
本当に有難い。
しかし 出来るだけ、母に食事をさせてあげたい。
私が乳児の頃、母が私にしてくれたように、
ひとスプーン、ひとスプーン、
「これは おかゆ、これは 焼き魚」とゆっくり食べさせて
親孝行が出来る機会を与えられている事を感謝する。

母が食事をした後、私の食事の為に
「食事をして来るから、待っててね。」
というと、「食事は用意しておいたよ。テーブルの
上にあるから、早く食べなさい。」とせん妄になる。
母はきっと 気持ちの上では、
私の為に食事を用意したつもりなのだろう。
私は「うん ありがとう!!」と答える。

母と私は長い間 良い関係ではなかった。
いつも 喧嘩ばかりしていた。
母は「子離れ」ができなくて、
若い頃は、うっとうしいとよく思った。
また 母は人に合わせる人だったので、
子供の私にも いつも 合わせる人だ。
「母は もしかして宇宙人かも知れない」と
姉と冗談を言ったぐらいだ。
自分の意見はなく、いつも 父や子供である私たちに
合わせる。私はいつも イライラした。
「お母さんの意見はないの!!?」と。
いつの間にか、母に何かを相談したことはない。
相談しても、「ゆきちゃんの好きなようにしたらいいよ」と
答えて、姉には反対の「ゆきこのする事は、心配だ」と
言ったりするのを、聞くと本当によく喧嘩をした。
「言っている事と、思っていることが違う!!」と。
私は子供の頃、急性腸炎になり、死に掛けたことがある。
どちらかと言えば、気は強いが、身体は弱かったらしい。
だから 母は私をいつも 過保護にしていた。
それが、本当に嫌だった。

母が末期ガンと宣告を受けて、
私はまだ 親孝行をしていない事が辛かった。
母に反抗してばかりだったから。
喧嘩ばかりしていたから。

老いて、細くなった母を見ながら、
母の人生は、母にとってどんなものだったの
だろうかと思った。
父と出会い、家事や育児や、もろもろの事を
しながら、母はどんな気持ちで生きてきたのだろうか?
父はとても 幸せだったのは、知っている。
父はいつも自分の気持ちに正直で、
フェミニストで、真直ぐな人だった。
思ったことは、何でも話してくれた。

母は幸せだと思っていたのだろうか?
忍耐強くて、愚痴をはっきりと言えなくて、
過去と未来ばかり 心配をしていた。
表面的ではなく、こころの心底 どうだったのだろうか?
もし 幸せではなかったと思っているのなら、
胸が苦しいと思った。
残り少ない母の人生だけど「幸せだった」と思ってほしい。
物質的や、表面的な面ではなく、
精神的に母の人生は、どうだったのだろうか?
母は自分の人生をどう思っていたのだろうか?

入院する頃は、不安そうな、諦めがつかないような、
そんな顔をしていた。
入院直後、せん妄が起こり、
そのまま 何もかも分からなくなるのではないかと
2,3日 医師と私は、心配をした。が、
その後は 不思議な事に、
母は明るくなった。

現在の母の状態は、末期がんが問題ではなく
老衰状態だ。
食事もできるし、身体には、点滴の注射もなし、
食後に痛み止めのお薬を飲むせいか、
身体の痛みがある訳ではない。

病院を出る時「お母さん 仕事に行ってくるね」と
言うと、必ず「気をつけていっておいで。
何時に帰ってくるの?」と聞く。
「できるだけ早く帰ってくるから」と答えると、
「うん」と嬉しそうにニコッとする。

昨年の夏、突然のガン宣告で、
手術をするか、しないかの選択で、
危険な手術でもする事を、選び、
手術が成功し、この1年弱、母に優しく、
接する「時間」が与えられたこと、
母に親孝行をする「時間」が与えられたこと、
私はこんなかかわり方が出来ている事を
こころから感謝する。

母がずっと 安らかでありますように。
投稿日:15.07.2007 今日の出来事
今 何ができるのか。
ブログを書こうと思ってこのページを作ったのに、
あまりの忙しさで、わずか 10分の余裕がなかなかない。

6月18日 定期的に通っていた検診が最後になった。
6月21日 母が入院をする日がついに来た。
昨年 無事手術を終えて、ずっと恐れていた事。
医師から、もう通うのは、体力的に、限界だから、
入院か、自宅訪問をして行きましょう。と言われた。
それまで、自分のことは、自分で出来ていたが、
母は体力がなくなり、限界になりつつあった。

母は自宅養生を希望していた。
その理由はただ1つ 私と一緒にいたいから。
娘と一緒にいたい。1人は寂しい。
私もそうしてあげたいが、
結婚相談所、カウンセリング、お見合い、心理学講座、
事例研究会と 忙しい。
体が2つあれば、1つは朝から晩まで
母の側にいてあげたい。
1つは仕事がある。
自宅にいたら、誰もいないとき、
緊急事態が母に起こる事がとても心配だ。
息子夫婦も 昼間 母を連れてきてもいいよ、と
言ってくれるが、毎日、毎日、あっちへ連れて行き、
こっちへ連れて行くことは現実的には、
母にとっても、疲れる事だとも思う。

医師から今後の希望の返事をするようにと
言われながら、どうしたらいいのか、迷っていた。
「どうしたらいいんだろう!!」

ふっと 私が病院へ泊り込めば、問題は解決することに
気がついた。すぐ 医師へ電話をして、
泊り込みが可能か確認をした。
「もちろん 24時間 自由に出入り可能であるし、
泊まりたい時も 自由にしていい」と言って、個室を
用意して下さった。
8畳ぐらいの南向き、トイレ付きのお部屋は
まるでホテルのようだ。

本当に有難いなー。
24時間 完全看護で、やさしい医師、看護師に囲まれて、
母は穏やかに日々を過ごしている。

私は週5日 病院から事務所へ通い、
家事をし、まあー 目が回るとは この事かもと思う。
しかし 今しか 出来ない事。それを 大切にしたい。
いつかは、懐かしさで一杯になる日が来る。
その時、後悔をしないように、must  ではなく
want でやって行こう。
投稿日:12.07.2007 今日の出来事
桜と誕生日
今日は私の誕生日。
第○○回目の誕生日だ。
ああ、また 年を取っちゃたな~というのが実感だ。

息子から電話で「お誕生日おめでとう!!夜 食事においで」と
誘いがある。
毎年 私は「覚えていたの?」とちょっぴり皮肉っぽく、
同じセリフを言う。
年々 息子の対応に余裕が増しているのが分かる。
「もうちょっとで、忘れそうだった!!」と笑えて言えるのは、
心に余裕がなければ言えない。
「折角電話をしたのに!!」と反論を昔はしていた。
成長しているんだね。
私の誕生日は息子の、成長ぶりの確認の日だ。

誕生日の今日の最初の仕事は
現在 心療内科へ通院しながら、1年以上 カウンセリングに
通われている面談だった。

カウンセリングが終わり
窓の外を眺めると、目の前に芦屋川の桜が
淡いピンクの花びらを枝いっぱいに咲かせているのが見える。
この美しい桜を、誰が創作したんだろう、
わずか10日ぐらいの命の美しさを、誰が決めたのだろう。
神様か?自然の摂理か? 桜をみると、いつも 同じ事を感じる。

桜を毎年 いろいろな 思いで見ているが、
今年は 複雑な思いでみている。母以外の事では、
とっても 恵まれていて、幸せなのに。。。。
投稿日:07.04.2007 今日の出来事
青木鈴花ちゃん
今日は 月1回の 仲人の会の定例会だった。
親しくしている仲人さんたちと、会の後 遅い「昼食」をした。
あのレストランの あのランチ おいしいなー!
月1回 いつも行く。

喉頭軟化症というのどの病気で、たんの吸引が必要な
青木鈴花ちゃんが小学校へ入学したと夜のニュースを、
テレビで見た。

あの笑顔すごいな~。
母がのどの吸引をしたときに、
痛がったのを思い出す。
鈴花ちゃん 痛くないのかな~。

あの笑顔には脱帽です。
笑顔だけではなく、精神力のすごさにも脱帽。

私も頑張らなくちゃ!!
投稿日:06.04.2007 今日の出来事
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